未確認非行物体

声優、寝取られ、艦これ他

決断できない人間について

愚痴、かつ抽象的なお話。(数年ぶりの更新がこれかよ)

 

最近、仕事上「決める」ことができない人と関わっており、なぜ決断できない人間がこんなに多いのかについて考える機会があった。

 

決断するための理想的な状態とは大雑把に、

  1. 決断に必要な情報が完璧に(余すことなく)揃っている
  2. それらの情報をもとに結果が完全に予測できる

という条件が揃っている場合だろう。だけど、普通に考えてそんな状態があるわけがない。

なので、決断に際しては不確定なものを不確定なまま判断するというリスクをとる(=予想通りの結果(失敗)したときに責任を取る)ことが必要になるんだけど、決められない人はこの「リスクをとる」ことを嫌がるわけである。

そして、自分がリスクをとらないことを正当化するために、上にあげたような状況がそろっていない(情報が足りない、予想がつかない)ことを「できない」理由にして逃げ回るわけだ。これがやっかいなのが、「情報が足りない」ことも「予想がつかない」ことも、現状を指し示す言葉として間違っていないことだ。つまり、決められない自分が悪いのではなく、決められない状況(不確実さ)を責めるのである。

人間、というか組織というのは悲しいことに、責任の主体があやふやな状態がしばしば一番「収まりのいい」形になりがちである。自社や具体的なAさんが悪い、という話よりも「みんなが悪い」「状況が悪い」ほうが、少なくとも短期的には誰も痛い目をみないからである。

かくして問題は後回しにされ、チャンスは失われ、世の中から取り残され、そして彼は周囲の信頼を失うのである。

 

まあ、そういう思考に陥ってる人を相手にしていても仕方ないし、納期は迫ってくるしクライアントのストレスが溜まる一方なので、こちらが(つまり俺が)物事を決断したのである。

ちなみに、個人的に「決断する」ために何をするかというと、

  • 「分かっていること」と「分からないこと」を細かく分類する
  • 「分からないこと」について、「それがもしこうであったら」という仮定を置く
  • それぞれの仮定に対して予想を立て、スケジュールや費用、メリット、デメリットを整理する
  • その予想から、一番良さそうなものを選んでそれと決める

みたいなことをしている。

それぞれの精度は自分のスペック(知識や経験や勘、もっと言えばセンスや地頭の良さ)に依存するんだろう。

決断できない人間は迷惑だし、ビシビシ物事を決められる人間になりたいというお話でした。